公人私人

人づきあいが苦手なのに、仕事で利用者さんと話をするのは割と好きである。利用者さんは基本好きになるし、プライベートで他人と話するよりリラックスして楽に話できる。

なぜだろうと考えてみる。仕事だからかな。飯の種だからかな。頼られる関係だからか。年寄りだからか。いや、若い人が相手の時もある。関係が明確だからか。

といろいろ考えたが、仕事の同僚も、ある意味飯の種のうちだし、関係性もはっきりしている。でもやっぱり苦手な場合もあるし、気も使う。

 

利用者さん相手の時は、コミュニケーションスキルを使っていると思う。批判しない、興味を持ち、意見を挟まない。相手がなりたいように支援する。つまり、自分の色を出さずに透明に近い存在になっている。私、ではなく公、に近いのだ。

これってかなり仏教的なあり方なんじゃないか?

仕事とプライベートと良く言うけど、仕事はお金を稼ぐため。お金は生きていくために必要、と考えると、生活全てが生きていくために必要なんだから人生そのものを仕事だと捉えても良いんじゃないだろうか。

生きている間、ずっと仕事していると考えたら凄くしんどい気もするが、それは実は逆で、透明で周り(自分を含め)を支援する存在、つまり公人でいられたら、それはリラックスした楽な姿勢なのかもしれない。「私」こそなければ不安も緊張も生まないのだから。

仕事中のしんどさも、全て、自分の意見や保身などの「私」が出てるからしんどいのだ。利用者さん相手の時のように透明であればしんどくないはずだ。

これからは全部、仕事だと思って、このコミュニケーションスキルを拡張して生きてみよー。