人づきあい

私は人づきあいが好きでない。面倒くさい。

人と人なんて理解し合えるわけがない。皆、自分ワールドを生きている。思い込みや勘違いから怒ったりもする。怒っていなくても勘違いによる無理解は皆一緒だ。

無理解や誤解を土台にしたやりとりに何の意味があるのか。

理解しあえていない人からの言葉をまにうけるのもおかしいのだ。自分は鹿なのに、

「おい、馬!ツノなんか生やがって!」

と言われても、

「は?私は鹿なので当たり前なんですけど。でも反論してもこの人理解できないだろう。このツノ見て馬って思うくらいだから。」

と諦める。

ただ、無理解の上にしか成り立たないこともある。それは無理解状態を思い知る、ということだ。あの人、理解してないよな。と思うと同時に、あれ?私、理解できてない?と気づくのは無理解状態でなければできないことだ。

自分の無理解を思い知る。それは自分ワールドを形づくる壁を撫でるようなものだ。

壁を撫でているうちに、壁の大きさ、頑丈さ、色を知る。それは自分を理解するということかも知れない。

つまり、自分の理解もできてないってことだね。人と関わることで、自分の無理解を知る。

人の壁をあーだこーだと言っても、それは自分ワールドから見た誤解情報だからね。それこそ意味ないんだよ。

壁を撫で撫でしてるうちにバリンと破れたら、世界が変わるのだろう。

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